フレンチアルプス・イタリアアルプスを訪ねて(2019/8/821

清岡 記

 

概要

 高木さんの提案で、フレンチアルプスとイタリアアルプスにフィンランドの帰りに廻ってきました。当初はレンタカーでとの話もありましたが、車の運転に自信がなかったため、バスと列車の旅になり、不便な旅行になってしまいました。コースは、フランスのラ・メイジュ峰のあるエクラン国立公園、最初の国立公園であるヴァノワーズ国立公園、モンブランのイタリア側にあるクールマイユール、フランスのシャモニを訪れました。

 

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ジュネーブ発;21:00

アヌシー着;22:25

ホテル着;22:50

   ヘルシンキ空港で帰国組と分かれ、3人でアルプス旅行の窓口ジュネーブに向かう。飛行機は、横6席の小型機。後方には空き席もあった。

 ジュネーブ空港では、インフォメーションでアヌシー行きのバスの切符を購入。シニア割引はなし。バス停では、先行のアヌシー行きバスもあった。後で気づいたが、直通バスと路線バス(UBIバス)があり、買ったのは路線バスのようであった。帰りにシャモニでジュネーブ行きが2社あると言われたが、路線バスは時間もかかり、値段も高いようである。運転手は話好きで、乗ってきた乗客と話しながら、すごいスピードでロータリーを通過していく。

 アヌシーについて、バスの運転手にホテルの場所を聞いたら、間違った道路の入り口を教えられ、ホテル周辺で、数回みちを尋ねるはめになった。ただ、ホテルの入り口が教会の建物と一緒でわかりづらい。二つ星のホテルであったが、あまりきれいな部屋ではなかった。

 夜の12時くらいまで夜店がでて、にぎやかであった。

 

8/9:晴

アヌシー発;10:30

グルノーブル;12:37〜15:15

ラ・グラーブキャンプ場着;17:30

  ホテルで頼んであった朝食をとったが、8ユーロで飲み物(コーヒー等)/パンの簡単なメニューであった。アヌシーは、湖の傍の観光地で、運河沿いに古い町並みが残っている。

 駅の窓口は、バス、列車で分かれており、窓口を探すのも一苦労である。発車ぎりぎり前にシニア割引で切符を入手し、乗り場を探す。改札もなく、通路の案内表示で乗る列車を探す。列車は、ソフー席と、一般席が同じ車内にある。席の方向も、前後方向に半々に設定されている。

 グルノーブルからエクラン国立公園のあるラ・グラーブ行きのバス停は、事前情報では離れているとの話であったが、駅前のバスターミナルから出ているようで、駅前の「サブウエイ」でサンドイッチの昼食をとる。日本語のわかる店員がおり助かる。一人前を、3人で分けて食べる。

 ラ・グラーブ行きのバスは12便。バスに乗るとき、切符を持ってないと運転手(バスの乗務員は一人で切符も販売している)から言われるが、「インフォメーションで車内で買えると聞いた」いうと、何とか納得して載せてもらえる。ただ、このやり取りが気に入らなかったのか、予定時間にラ・グラーブに着いた時、確認すると次だと言われ、辺鄙なホテル前に降ろされる。高木さんが事情を説明し、ホテルの娘さんに車でキャンプ場まで送ってもらった。キャンプ場は、中心部から歩いて20分程度離れた川沿いにあり、キャンピングカーと、テントが殆ど。中心に、トイレ、シャワー、炊事場の建物があり、管理棟の脇にはプールまである。運よく、静かな場所が確保できた。

 テントを設営後、中心部に買い物に出かけ、スポーツ店でガスボンベ、チーズ専門店でチーズ・サラミを、スーパーでパン等の食材を仕入れることができた。

 

8/10:晴

 昨日の夕方に見えていたラ・メイジュ3383mは、ガスが垂れこめて良く見えない。ゴンドラも、上部はガスの中にある。ゴンドラ乗り場で聞くと、上部の3100mまでの区間は強風で運転していないとのこと。午前中は狭い村の中を散策する。道路沿いやお墓には花が飾られ、水もやられている。また、各家庭の庭先には水槽が作られ、山からの水が注がれている。村からさらに上部にも集落があり、トレッキング客が多く登っている。

 昼食は、3人でピザとサラダを各一皿で十分であった。

 ガスも少し上がってきたので、ゴンドラで2416mまで上がる。ここには、シニア割引はあったが、80歳以上の割引は特になく、高木さんはがっかりしていた(3年前のイタリア側は殆どフリーであった)。

中間駅前の正面には氷河があり、アスレチック公園になっている。ラ・メイジュ峰から氷河が一枚岩の様に落ちている。昨夕見たときは、白い一枚岩の様に見えた。正面の懸垂氷河から雲がでている姿が印象的であった。マウンテインバイクが盛んで、ゴンドラで持ち上げて下っている。コースにもバイクの表示がある。

上部のゴンドラを見ていると、時々動いているようで、帰りに再度確認してみると、降りてきたのは雪山装備の登山客のみである。風が強いのか運航速度も極端に遅く、空中で止まっている時間が多いように見えた。

 夕方、ツーリストオフィスで、来た時の事もあったので帰りのバスの予約を行う。バスにはシニア割引はないそうである。

 夜には谷の花火大会があり、寝ているところを轟音に起こされた。花火自体は特に変わったものはなかったが、花火の音で雪崩が起きるのではと思うような轟音が20分ほど続いた。

8/11:晴

ラ・グラーブ発;10:20

グルノーブル;12:00〜14:02

ムティエ;15:20

  今日は、グノーブルに戻り、バノワーズ国立公園への移動日である。前夜、ラ・グラーブのバス停までタクシーを予約しようとしたら、キャンプ場管理人の方が送ってくれることになったので、楽にバス停まで戻ることができた。

 帰りのバスの車窓からは、高い岩山が見え、深い谷であったことが思い出された。

グルノーブル駅前の「サブウエイ」でサンドイッチの昼食をとり、バノワーズ国立公園の入り口のムティエまで、モントメリアン乗換の列車で向かう。

ムティエ駅で、バノワーズ国立公園入口のプラローニャン=ラ=ヴァノワーズ行きのバス便を探すと、ちょうど出発するところであった。荷物を離れたところに置いてあったので、そのバスには乗れず、次の便の時刻表を探すことになった。広いバス窓口は全部締まっており(冬のスキーシーズン用か?)掲示板からやっと時刻表を探すことができた。ただ、その後の便はすべて曜日指定で、略号のため曜日が確認できない。次の便があるかはっきりしないが、ここで泊まって翌日行くことも検討し、ホテル探しを行う事にした。ネットで探した近くのホテルは、すべて自動化のためうまくいかず、遠くのホテルを確認中、高木さんが近くのホテルを確保し、そのホテルに泊まることにした(ネットでは高額のため、見送ったホテルであった)。夕食は外食にしたが、翌朝からの食事は自室で、スーパーから購入したパンやハム、野菜等と、ポットで作った紅茶やコーヒーで済ますことにした。

 

8/12 曇時々雨

  午前中のバスでプラローニャン=ラ=ヴァノワーズ出かける予定であったが、朝起きると、小雨がぱらついているので、ホテルでゆっくりする。雨の中のテント生活を思うと、ラッキーだった。

やがて、雨も上がってきたが、やることがない。時間もあるので、午後の便でプラローニャン=ラ=ヴァノワーズまで行って、そのバス便で帰ってくることにして、夫婦で出かける。谷の周りはスキー場だらけである。終点に近くなると、前方に大きな岸壁と、にぎやかな観光地が突然現れる。レストラン等もにぎやかである。折り返し時間が少ししかないため、周りの散策はできなかったが、ロープウエイ等も見え、晴れていれば、気持ちの良い場所の様に思われた。バスの運転手に、「フランス初めての国立公園ですね」と言うと、喜んでいた。バス料金は結構高かったが、案外片道料金で行けたかもしれなかった。

8/13 晴

モンティアーズ;8:45

ブール=サン=モーリス;9:22〜11:30

プチ・サンベルナード:12:45〜16:00

ラ・ツイレ:16:28〜17:48

クールマイユール:18:05〜18:15

プラン・ポンケット:18:40

  今日は、峠を越え、イタリア側のクールマイユールに移動する予定ではあるが、峠のバス便がはっきりしないので、不安のなか出発する。

 列車の終点ブール=サン=モーリスまでは鉄道も通っているが、モンティアーズ845の便はバス便での運航であった。ブール=サン=モーリスの駅で、早速峠へのバス便を確認すると、何便かあることがわかり、ほっと一息。少し散策し、バスを待つ。峠へのバスには、人2ユーロ、自転車5ユーロの表示がある。バスの後ろを見ると、自転車運搬用のコンテナが接続されている。本当に、一人2ユーロであった(1時間余り乗ったのに、なぜこんなにも安いのか不思議)。運転手は、自転車用のコンテナを引っ張って、旧道をどんどん登っていく。峠下は、一大スキーリゾートになっており、ホテル等が乱立している。殆どの乗客はここで下車し、終点の峠に向かう客は私たちとツーリング客のみ。

 

峠周辺は広々としており、国境手前のバス停を降りて、イタリア側に砂利道を歩いて向かう。スキーのリフトが峠から上部に続いている。イタリア側への峠からのバス便は、平日は2便のみで16時までない。峠のレストランで昼食をとり、時間もあるので周辺の散策を行う。池の見える丘から、晴れていればモンブランがみえるとの標識があるが、モンブランは雲の中であった。

バス便は、結構込み合っていた。ただ、バスは峠下のラ・ツイレまでであり、そこから乗り換えて、クールマイユールにでることになる。峠下の道は、180度近いヘアピンカーブの連続である。ラ・ツイレの町も、一大観光地である。バスを乗り継ぎながら、何とかクールマイユールに着く。ここから、宿のあるヴェニ谷のロッジまではバスが頻発しているとの話通り、それほど待つことなくバスに乗ることができた。ロッジは、プラン・ポンケットのバス停の傍にあり、周りには何もない。ロッジでは2部屋ある部屋に泊まり、ゆっくりできた。

 夕食は8時からと遅い始まりではあったが、これからはバス等の心配もなくなるため、安心して夕食とビール・ワインを味わえた。

 

8/14:晴

シェクルー峠:10:30

ラック・デ・べセス:12:20〜12:45

車道:14:45

ラ・ヴィサイレ:15:30

 ロッジは、ブレンバ氷河の対岸にあり、プトレイ3773mの針峰が良く見える。

 今日は、ヴェニ谷の散策。3人で、クールマイユールまでバスで戻り、ヴェニ谷右手の尾根に上がるゴンドラ駅に向かう。ゴンドラ終点からリフトを乗り継いで、トレッキングの起点のシェクルー峠の小屋に向かう。高木さんはシェクルーの池まで、清岡夫婦は3時間ほどのNo6ルートを行くことにする。トレッキング道は、2100m〜2400mの上り気味の、最初は木立に囲まれた気持ちの良いなだらかな道が続く。冬はスキー場になっているようで、頭上2600mほどのところにもっと上に行くゴンドラ駅が見える。やがて道は草原状になるが、花の季節は終わってしまっていた。モンブラン南面の針峰群と氷河を望みながら歩く。対岸の尾根には山小屋らしきものとトレースが見えるが、厳しそうなトレースである。2番目のべセスの池の傍で一休みし、最後の2438mの峠(尾根の肩)の急斜面を超えると、牧草地の下りになる。このトレースからは、何本か道が別方向に続いているが、最後は尾根の岩場状の場所に続いており、厳しそうである。 降りは小川の流れる牧草地を通り、下の車道に降りる。

対岸には、氷河湖めぐりのコースとにぎやかな小屋が見えたが、少し疲れたので、そのまま車道をバス終点のラ・ヴィザイユのバス停まで、直行する。車道は、昼間は車通行禁止のようで、大勢のハイキング客でごった返していた。バス停の傍には小屋があり、レストランが営業していた。バス便はすぐあり、ロッジのあるプラン・ポンケットに帰る。ラ・ヴィザイユ周辺には、二つ星のキャンプ場も2つほどあり、混雑していた。帰ってロッジの庭で飲んだビールは格別であった。

 

 

 

 

 

 

 

/15:晴

アルプ・ヌヴァ:10:30

ボナッティ小屋;13:30から14:30

バス停:15:30

 今日はフェレ谷のトレッキングに向かう。クールマイユールに出て、フェレ谷のバス終点のアルプ・ヌヴァ1768mまで行き、2000mの尾根のトラバース道に出て、ボナッティ小屋でスパゲッティの昼食予定で出発する。トラバース道まで、九十九折のなだらかな牧草地の道である。ここの木々は、東北のように木の根元が雪で倒されている。

トラバース道は、今は枯れて始めているが、もう少し早ければきれいなお花畑の道である。今回は時期が少し遅くなり残念であった。ここで始めて日本人夫婦のトレッカーに出会った。ボナッティ小屋は混雑しており、時間も遅くなったことからスパゲッティは売り切れのようであった。他の料理はわからないため、高木さんのスープを頼めばよいとの提案で、スープを3人前と、隣で食べていたマッシュポテト状の食べ物を注文した。スープは、数種の豆のスープでパンと数種のチーズがついており、腹の足しにはなる。マッシュポテト状の食べ物は、とうもろこしの粉に、チーズを振りかけたもので、あまりおいしくない。スープに混ぜて少し食べるが、ほとんど残してしまった。

 小屋からは、急な道をバス道まで下り、クールマイユールに戻る。クールマイユールでは、時間もあったので、教会やガイド事務所を見物する。教会前には、数人のガイドの胸像が飾られていた。

 ロッジに帰ると、高木さんからロッジの清算は現金のみといわれたとのことで、対応を検討する。最終的に200ユーロほど足らないことがわかり、後日不足分は送ることで話がつき、一安心する。宿は、朝食はパン類、ジュース、コーヒー、ヨーグルト等、夕食は前菜、スープ、メイン、デザートのコースが出て、ワイン、ビールを飲んで一人70ユーロ程度であり、高木さんが気に入るのも良くわかった。

 

/16:晴

 今日は、モンブランをケーブルで越え、シャモニに向かう。かみさんはキャスターバッグで、ゴンドラの乗り継ぎができるか心配気味。

 ロッジの料理長に、スカイウエイゴンドラまで送ってもらい、ゴンドラに乗り込む。中間駅を経由して、終点のプンタ・エルブロンネル3466mまで上る。眼下に登山道も見えるが、上部はロープもあり、かなり厳しい。

 駅からは、モンブランや南面の山々が見え、眼下には登ってきたアオスタ谷が望める。氷河の端には観光客とトリノ小屋が見える。小屋の片側は、今にも崩れそうな断崖になっており、上下2棟の間の通路は、壁に囲まれている。小屋への道もガレ場っぽく、あまり行く気がしない。

ここから、エギュー・ド・ミディまでのゴンドラ(パノラミック・モンブラン)は、氷河を水平に越えていく。途中の中間支点は、ケーブルで作られている。4人乗りゴンドラ2台が、1セットで運行されている。荷物代は取られなかったが、夫婦と大型ザック、キャスターバッグで1台のゴンドラに乗り込む。眼下には氷河歩きのグループ等が眺められる。ケーブル自体の重さで一度下り、ゆっくり上っていく。反対方向のゴンドラと接触を避けるためかスピードも遅く、30分以上かかった。

 

エギュー・ド・ミディ駅3842mは、観光地そのもので、駅前の岩峰に登って記念写真を撮っているクライマー等、観光用登山基地であった。ただ、鉄筋とコンクリートに覆われたミディの岩峰(直下の展望台までエレベータもある)は、少しかわいそうな気もした。

エギュー・ド・ミディの駅からは、シャモニの町までは、これまたゴンドラを乗り継いで一瞬であった。途中駅のプラン・ド・エギュ2317mの傍にはバー・レストランもあり賑わっていた。ここから、氷河までのトレッキング道も短く面白そうな道のように見えた。

ケーブル駅前のインフォメーションでは、待ったあげくキャンプ場の情報等はツーリストオフィスでとのことで、ツーリストオフィスに向かう。ツーリストオフィスでは、近い場所としてケーブル駅傍のキャンプ場を紹介された。郊外が良いとの意見もあり、16時から日本人のスタッフが来るとの表示があり、最終決定はそれ以降ということになった。また、両替所はケーブル駅前のタバコ屋といわれ、残念な思いをした。

結局ケーブル駅傍のレス・アロウスキャンプ場に泊まることになり、途中レストランで夕食をとって、キャンプ場に向かう。キャンプ場は国道の裏側になるため少しうるさいが、結構混んでおり、4段の敷地の最下段に決まる。隣には韓国人の大学生の単独行者がテントを張っており、モンブラン一周をやっているとのことであった。日本人の高齢者のグループのテントもあった。

 

/17:晴

今日は、登山電車に乗ってモンタンベールのメールドグラス氷河見物に向かう。国道沿いのスーパーに立ち寄り軽い夕食材料を仕入れた後、登山鉄道駅に向かう。ここも結構混雑しているが、全員座れるようにホームの立ち入りを制限している。アプト式電車はゆっくり登っていく。途中にはトレッキング道が交差している。終点のモンタンベール駅からは、メールドグラス氷河と奥のグランドジョラスが望める。グランドジョラスの取り付きまではかなり距離がありそう。

氷河観光に、ゴンドラで傍まで降りるが、最後の傾斜は60度以上ある。氷河までは、まだここから九十九折に作られた階段を延々と下っていく。高木さんは、ここまででモンタンベール観光に切り替える。ゴンドラから氷河に作られたトンネルまでは、下り15分・上り25分が標準タイムのようだ。氷河を削って作ったトンネル内は、透明で、一部岩も混ざっている。写真撮影用の氷の椅子や、氷の部屋や、氷河の歴史等の額も表示されている。

氷河上のトレッキングは、氷のトンネル入り口から登るようである。駅に戻ったが、レストランも高いので、早々にシャモニに戻る。傍のホテルには写真館もあったようである。

シャモニでの遅い昼食は、案内所で聞いていた中華料理店で食べる。久しぶりの米を炒飯で食べることができた。

 

/18:晴

今日は、清岡夫婦は、反対側のレ・ブレバン2525mまでゴンドラで上り、降りることにする。朝、町を歩いていると、パラグライダーが舞って、街中に降りている。今日行く途中のプラン・プラ付近から飛び立っているようである。レ・ブレバン上部は、岩場っぽいので、中間のプラン・プラ1999mから降りようと思っていたが、窓口(日本語が通じた)で、レ・ブレバンからプラン・プラの1時間のトレッキングを薦められたので、このルートを歩くことにした。レ・ブレバンからは、シャモニ谷の西側の別の谷も見える。雪もないため岩っぽい山々と、草原のトレッキング道が望める。

プラン・プラへの下りは、岩っぽい広い車道が続いている。冬はスキーコースになるようで、転落防止用の柵も設置されている。途中には岩場もあり、トレーニングしているグループや、小さな岩峰を登っているクライマーの姿がある。一部の岩場には、ボルトが埋め込まれており、傍で見ようと近づくと、かみさんに呼ばれた。何気なく岩場の付け根を見ると、数m先に野性のアイベックスがいた。写真を撮っている間に消えてしまったが、トレッキング客やクライマーが大勢いる中でよく出てきたものだと不思議な気がした。

プラン・プラからシャモニには、九十九折れの2時間程度のトレッキングコースもあるが、花も咲いてなさそうなので、当初の予定通りゴンドラでシャモニに降りる。遅い昼食は、国鉄駅前のカレーとラーメンの日本食の店を探していくが、着いたのが2時で、丁度、昼の営業は終わったと断られてしまった。ただ、運よく、傍のレストランで鮭・いくらのスパゲッティとサラダの昼食をとることができた。

午後4時に、明日のジュネーブの宿をツーリストオフィスで聞こうと3人で待ち合わせをしていたが、奥で休んでいた高木さんに気づかず、庭のソファーで軽い昼寝。1時間ほどして再度確認すると、高木さんも4時前から待っていたとのことで、申し訳ないことをしてしまった。高木さんの話では、窓口の日本女性から、ジュネーブは宿泊費が高額のため、明後日早朝のバスで直接空港に行ったらと薦められたらしいが、早朝のテント撤収・帰国用パッキングも心配があった。再度3人で窓口に行くと、安いユースホステルがあると紹介され、予約までしてもらった。

夜は、高木さんの提案でスパゲッテーを作ることになった。スーパーでトマトルーと野菜煮込み缶詰を見つけることができたため、日本から持参した五島うどんに混ぜ、何とか今夏の旅行中初めて、おいしいと思える食事を取ることができた。

 

8/19:雨のち曇り

シャモニ:10:00

ジュネーブ;11:15

朝気がつくと、雨が降っている。今日はジュネーブに移動するので、テントの撤収等もあり、どうしようかと思っているうち小降りになる。パンとハム、トマト、紅茶の簡単な朝食をテントの中でとり、パッキング後荷物を管理小屋に移動させ、テントを撤収する。今井さんから借りた新品のテントで、濡れることなく過すことができた。

傍のバスステーションに移動するころには、雨も上がり一安心する。シャモニの天気も下り坂のようで、今日ジュネーブの宿に移動することができてラッキーであった。直行バスは高速道路?を通っているようで、1時間程でジュネーブのバスターミナルに到着する。ユースホステル近くまではすぐ行くことができたが、肝心のホステル周辺で迷い、時間と取ってしまう。ホステルにチェックインしたが、部屋に入れるのは2時からとのことで、荷物を預け、レマン湖の散策と昼食に出かける。ジュネーブの町は、古いがっしりした同じような建物が多い。昼食はタイ料理をとる。

ホステルに戻り、部屋を確認する。2段ベットとシングルベット2つのきれいな部屋であった。庭でテントを乾かす。時々薄日はさすが、あまり天気は良くない。夕方、もう一度レマン湖の散策と、駅の確認に向かう。湖には水浴びのできる場所もあり、少し水温は低いが子供連れの海水浴客?が多い。周りには水鳥も多い。駅に立ち寄って、空港への路面電車等を確認するが、よくわからず宿で再確認することにして戻る。

夕食は、ホステルで自炊(ピクニックルームという設備の整った部屋があった)することにし、スーパーで、カップヌードル(日本製)と点心を買い込む。ただ、閉店時間ぎりぎりになったため、ビール等は買うことができず、最後は貧しい夕食となってしまった。なお、ホステル内でも頼めば、ディナーを取ることができる。

 

8/20:小雨

 朝6時から、ホステルの朝食が始まった。内容は、ジュース、コーヒー、食パン、ハム、チーズ、果物(まるごと)のバイキング形式であり、すこし贅沢めである。

 朝から小雨がぱらついており、傘をさして駅に向かう。今朝、シャモニを出発していたら大変だった。空港へは、ユースホステルでチェックイン時にもらった2日間の市内無料切符を使う。電車が頻発していると教えてもらっていたので、空港行きのホームに向かうと、すぐ発車する列車が止まっていた。(ここも改札はなかった)。5分ほどで空港に到着し、フィンエアーの窓口で搭乗手続きをおこなう。ここは、ヘルシンキと異なり、有人対応であった。

 ヘルシンキで成田行きに乗り換える。この空港以降は日本語で対応してもらえるので一安心して、帰国の途についた。

 

参考

 今回、アルプス周辺の旅行では下記のような点に気がついた

・一般的なホテルの朝食はパンと飲み物程度のため、自分で準備したほうが安く上がって美味しい。ただ、ホテルには湯沸かし器が置いてないところが多かった。携帯用の湯沸かし器を持っていると便利と思う。

・コーヒーは、エスプレッソ系が多く、アメリカンにしても濃い。紙パック一杯分のコーヒーパック(お湯に入れるタイプ)もスーパーで販売しているが、あまりおいしくないそうである。

・レストランではヨーロッパ系の料理の一人前の量が多すぎる。また、全体的に味が薄い。東洋系の料理の量は日本に比べて少し多いくらいである。

・アルプスのキャンプ場は、フィンランドと異なり、ほとんどキャンピングカーとテントで、貸しキャビンはあまり見かけなかった。

・バス便は、シャモニ/クールマイユール以外は、殆ど午前/午後各1本と少なく、待ち時間が多かった。