○期間:2018/7/13~8/15(BC以上の登山活動は7/18~8/5)
○メンバー:松平 盛亮(ぶなの会 会員)
1970年12月28日生。1990年代は東京ヤングクライマーズクラブで国内登攀を中心に活動。当時の高所登山歴は天山山脈(1995,98年ハンテングリ7010m、1998年ポベーダは7250mで敗退)、ネパール(1997年タルプチュリ5695m)。2000年代前半は育児で登山活動を完全に中断する。
2000年代半ばから山スキーを我流で始め、ぶなの会に2010年入会。国内では山スキーのみ実施し、主に黒部川スキー横断山行を好む。高所登山は2016年から再開(2016年メラピーク6461m、2017年レーニン峰7134m、今回のムスターグアタ7546m)。製薬会社勤務。
○概要:
<概念図:ムスターグアタ西稜>
<地図>
<標高獲得グラフ>
○報告
7/13(金)
成田空港 (CA926) 15:30(定刻より15分遅れ) → 北京空港18:55 → ホテル
130リッターのダッフルバッグ、70リッターのザック、スキーケースで合計約42kgの重荷にあえぎながら成田空港まで電車で向かう。今回は長男がスキーケース13.5kgを持って成田空港まで見送ってくれたので、随分楽ができた。
4時間ちょっとのフライトで北京空港着。受託荷物受取ターンテーブルでダッフルバッグとスキーケースを回収して到着口の外に出、エアチャイナのサービスカウンターでトランジットホテル(無料)予約済みの旨を申し出る。しばらく待ってから、ホテル行のシャトルバスに乗ってトランジットホテル着。外に食べに行くのは面倒なので、手っ取り早くホテルの食堂で夕食をとってから就寝。
成田空港にて 北京空港内のエアチャイナサービスカウンター
7/14(土)
ホテル → 北京空港(CA1477)08:20 → カシュガル空港 15:25 → ホテル(市内を散策)
ホテルで朝食後、6時前にはシャトルバスでホテルを出発し空港に戻る。チェックインカウンターは早朝から凄い人だかりで、受託荷物を預けるまでが一苦労。
カシュガルへのフライトでは、経由地のウルムチで機内持ち込み手荷物すべてを持って一旦降機し、1時間後にまた同じ飛行機の同じ席に戻る。その後はタクラマカン砂漠の端っこを眺めながら、中国最西端の空港があるカシュガルまで飛ぶ。
空港では思いがけずエージェントの出迎えを受け、ホテルまで送ってもらえた。大荷物を部屋に置いた後、散歩がてら街の中心部を見て歩き、ついでにスーパーで食糧を買い足す。量り売りのお菓子類(クラッカー、チョコレート、キャンディー)や砂糖、ナッツ類を購入したが、他にも高所キャンプ用の食糧になりそうなもの(インスタントラーメン、ドライフルーツ、お茶など)や日用雑貨など何でも揃っていた。
湿度は低めだが気温が高い(最高気温35℃)ので、入山前に疲れを溜めないよう、ホテル近所の食堂で早々に夕食をとってから就寝する。
カシュガル空港 量り売りコーナーは行動食天国
7/15(日)
カシュガル市内観光(快晴)
午前中はホテルでエージェントと簡単な打ち合わせ。既に昨日のうちに食糧買い出しを完了しているので、午後はのんびりと観光にあてる。街並みの綺麗なカシュガル老城地区(ウィグル人居住区の旧市街)を中心に歩き回る。夕方が最も暑くなるので、早々に夕食を済ませ就寝。
きれいな街並み やはりラグメン最高!
7/16(月)
ホテル9:20(快晴) → オパル 10:30~11:30(快晴) → スバシ(3730m)16:00(快晴)
朝食後にエージェントの車が迎えに来、ドライバー、スバシまでのガイド、途中からは新疆登山協会のリエゾンオフィサー同乗の4人でカラコルムハイウェイを南下する。
カシュガルから少し進んだオパルの町で早めの昼食後、どんどん山間部に進んでいく。2か所ほど公安のチェックポイントを通過し、コングール(7649m)*注の麓を西から回り込むように進んで行くと、遠くに写真で見覚えのあるアングルのムスターグアタが見えてきた。やっと現地に来ることができた思いで感無量。(注:1981年、南面から初登頂した英国のクリス・ボニントン隊と同時期に北稜から挑んだ日本隊(高田直樹隊長)の傑出したクライマー3人が遭難したことで有名。)
カラクリ湖畔から見るムスターグアタは巨大で、単眼鏡で見るとC3らしきテント群もよく見える。カラクリ湖畔先の警察署で入山手続を終え、集落のあるスバシ(3730m)に到着。
ここは入山管理をしている担当者が管理棟の小屋の管理人もしており、宿泊(100元/泊、汚いベッド3つ)と食事(50元/食)も提供しているらしい。宿泊は自分のテントを使うことにし、夕食のみお願いすることにした。
気持ちの良い草原地帯にテントを張り、夕食は管理人とリエゾンオフィサー3人で車でカラクリ湖近くの食堂まで行って食べる。たらふく食べた後スバシに戻り、自分のテントで就寝。
カラコルムハイウェイからのムスターグアタ遠景 スバシは気持ちの良い草原地帯
7/17(火)
スバシ(3730m)10:00(晴) → BC(4410m) 10:40(快晴)
昨日オパルで購入したナン、果物などを食べた後、テントを撤収して荷揚げのラクダを待つ。すると車が一台来て荷物を取りに来た模様。なんと荷揚げは車だったようだ。ダッフルバッグとスキーケースを預けると「お前は乗っていかないのか?」と聞かれる。荷物は無料(=エージェント支払費用に含まれる)だが、乗っていくなら100元(約1700円)でよいとのこと。もともとBCまでは歩くつもりだったので断ると、「いくらなら乗ってく?」と執拗に聞かれる。結局値切って50元でBCまで乗せてもらうことになった。
BCまで歩きだと3~4時間のところを、車だと30分少々で着いてしまう。まあ東京で低酸素室に通いまくっていたので、いきなり4400mまで車で登ってきても問題ないだろう。
フレンドリーなBCマネージャーに挨拶後、既にBC入りしている各国の登山者にも挨拶して回る。日本から持参したテントを設営し、荷物を整理する。当初明日はBCで休養の予定だったが、体調がすこぶる良いので、明日から早速C1への順応行動を開始することにする。
ラクダかと思ったら車で荷揚げだった! 快適なBCにマイテント設営
7/18(水)
BC(4410m) 10:55(快晴) → 4840m 12:17~35(快晴) → 5125m
13:31~46(快晴) → C1(5430m) 14:53~15:55(快晴) → BC(4410m) 17:03(快晴)
朝食後、C1に荷揚げする荷物を背負ってBC出発。踏み跡がはっきりついていてとても歩きやすい。5125mにチョルテンがある小さなテント場があるが、C1には低すぎるので通過する。さらに登っていくと雪線付近の尾根上に整地したスペースやテントがいくつもあり、標高的にもここが通常のC1だとすぐ分かる。雪面が始まる直前に自分のテントを設営してBCに戻る。
残置の竹や石、長い金属ペグ等でガッチリ固定
C1からの眺め
7/19(木)
BC(4410m) 11:00(快晴) → 5125m 12:59~13:51(快晴) → C1(5430m) 14:45~15:27(快晴) → BC(4410m) 16:42(快晴)
計画だと1日休養を入れる予定だったが、体調も良いので好天が続くうちにできるだけ行動することにする。朝食後、C1のテントまで高所キャンプ用の物資を荷揚げする。昨日よりも重荷で、かつ途中でネパールから出稼ぎに来ているシェルパと1時間ほど談笑していたにもかかわらず、前日よりも速いペースでC1に着くことができた。荷物をテント内にデポ後、BCまで戻る。
順応第一段階(C1往復2回)を予定よりも2日早く完了していることに満足満足♪
7/20(金)〜22(日)(いずれの日も晴ときどき曇、夕方一時雨)
予定ではBCで2日間の休養日を挟んで次の順応第二段階(C3への往復)を開始する予定だったが、BCで浴びたシャワーがいけなかったのか風邪をひいてしまい、もう1日休養する。
BCとC1への尾根末端 ケバブをご馳走になる!
仲良くなった各国の登山者と♪
7/23(月)
BC(4410m) 11:36(曇) → 4855m 13:06~25(曇) → 5125m 14:23~40(曇ときどき晴) → C1(5430m) 15:57(晴)
朝食後、C3までの順応trip(4日間)に向かうべくBCを出発する。病み上がり、かつ今回はスキーやブーツも背負っていて重いので、ゆっくり歩く。
トレッキングシューズで楽に歩ける 今日は重く感じた。。
7/24(火)
C1(5430m) 8:20(曇) → 5830m 10:06~25(曇) → C2(6175m) 12:35~14:30(晴) → C1(5430m) 15:15(晴)
ようやく本日から雪上の行動である。C1~C2間は危険性が最も高いと思われるクレバス帯の通過だ。他の登山者から大したことはないと聞いてはいたが、状態が悪くて他のグループと臨時にアンザイレンすることも想定して、念のためハーネス着用、7mm30mロープ持参で登り始める。
クトーを効かせて傾斜25°の雪面をスキーで直登すると、上部C1(5550m)のテント村を通過する。正面のセラック帯を左に巻くところからクレバス帯が始まるが、先行者のトレースが道のようになっており、加えて赤旗も豊富に打ってあってルートは明瞭。クレバスも、渡れるものは開口部の幅がせいぜい30cm程で楽に渡れる。渡れない巨大なものはトレースに沿って巻くだけなので不安はない。
上部C1(ルートは雪面を左上) 大きなクレバスを避けて進む
5880m付近で、横に広がる2つの巨大なクレバスに挟まれた尾根を左に進んでクレバスの左端を渡ると雪原となり、クレバス帯を抜ける。ここからは、なだらかな雪原~大きな尾根をのんびりと進んでC2のテント村に到着する。
他のテントを撤収した跡地をさらに整地して一人用の小さなテントを設営する。この先一週間以上張りっぱなしとなるため、竹ペグや長めの金属ペグで頑丈に固定するとともに、外張のスカート部分に入念に雪をかぶせる。
のんびりした後、スキーであっという間にC1まで下山する。C1~C2間は、もっとシートラーゲンせざるを得ない箇所が出てくるかと思ったが、結果的に登りも下りも全てスキーで行動できた。
クレバス帯を抜けた先の雪原 C2のテント村
7/25(水)
C1(5430m) 10:02(快晴) → 5895m 12:43~13:14(快晴) → C2(6175m) 14:52(晴)
今日はC2に宿泊予定である。昨日の状況から、クレバス帯はアンザイレンの必要性は生じないと考え、ロープとハーネスはC1に置いていく。
ネパールのシェルパに手厚くサポートされた中国人の大グループをゴボウ抜きして進むが、それでも昨日よりは荷物が重いのでスピードは遅め。加えて毎度のことだが、高所に行くと出る咳も徐々に出始めているので、C2まで無理ないペースでのんびり進む。
今日のC2は中国人の大グループも複数テントで宿泊しており賑やかだ。どうやら食事の用意も含めてシェルパたちが面倒を見ているようで初心者が多く、中には靴を脱がせてもらわなければならないほどバテている人もいて驚かされる。
中国人団体に追いつく(遠景はコングール) クレバス帯の通過
7/26(木)
C2(6175m) 9:15(曇) → 6380m 10:15~40(濃霧) → C2(6175m) 10:50~11:30(曇) → C1(5430m) 12:22~13:20(曇) → BC(4410m) 14:32(曇)
夜半に息苦しくて目覚めると、テントに雪が降り積もっていた。入り口を開けて頭痛が収まるまで腹式呼吸を心掛ける。今日は順応第二段階の締めくくりでC3まで空荷で登ってから一気にBCまで下山するつもりだが、朝になっても視界が良くない。行ける所まで登ることにしてC2を出発する。
風はほとんど吹いていないが高度を上げるに従いガスが濃くなり、1時間もしないうちに完全なホワイトアウト状態になってしまった。過去の経験から、7000m峰なら頂上マイナス1200m位まで体を暴露していれば高度順応上は問題無い感触があったので、無理せずにそれ以上の登行を早々に切り上げて下山にかかる。
新雪を気持ちよく滑ってあっという間にC2到着。C2でのんびりした後、引き続き新雪滑走を楽しみながらC1まで一気に滑った。高所でのスキーは酸素が薄いので、意識して呼吸しないとすぐに息が上がってしまう。ターンに合わせて呼吸したり、それでも間に合わない場合は立ち止まって呼吸を整えながら滑るが、それでも歩きの登山者よりは格段に速いスピードで下降できて快適である。
C1テントにスキーやブーツ、高所用寝袋など上部キャンプでしか使用しない装備をデポし、軽装でBCに帰着する。明日からは、Summit push前のお楽しみの休養日だ♪
新雪滑走を楽しんでC2まで戻る 計画的に息を整えないと苦しくなる
圧倒的な下降スピード! C1でも薄っすら積雪があったようだ